マルタサギーは探偵ですか?コレがロマンスでないなら。きっと私は灯台の上でポエムで微笑む。

 

 

ロマンス宣言を今から始めます。誰かを好きっていうのをブレーキ踏むんなら、地獄で一緒に笑えたらいーね。。。て感じ。羨ましい。

 

サクッといきます。

 

新装版から旧版に切り替える変則的な読み方をして、思ったのが。マルタから見る世界の優しさと寂しさが若干異なり。物語の読み味も変わってるなと。

 

5巻が非常に好き。5巻の外食するのも怠いからコンビニで冷やし中華買って、どっかテキトーに外で食べるシーンは、ハチクロの魚肉ソーセージと沢庵おにぎりを土手?で食べるシーンみたいな良さがある。

 

年上であることで余裕のある好きだったバーチがどんどん自然体に恋愛にハマる描写はロマンスいっぱい。だからラストのラストの告白のシーンがとてもロマンスフルドライブエキゾチック。

 

説教クサくない説教みたいな人生語りが好きでした。特筆するシーンは7巻ラストの敵キャラのお兄ちゃんがよりによってあんたがラストのマルタを動かす人になったこと。あそこは非常に良い。

 

他にもいーーーーーっぱいあるけど、サクッとじゃなくなるのでぜーーーんぶワープします。

 

注目は人によってはクサイと捉えてしまうかもしれないけど。そうは言わせないバーチとマルタの積み重ねたものがゴートゥーヘルをレッツトゥギャザーしたとこ。そこって紛れもなく。すごく。ロマンスじゃない?

 

 

 

わたし、二番目の彼女でいいから。不純でなくてハイカロリー。そしてひしめく不穏

 

 

 

読みました。心がイエスと言ったのなら、突き進んで良いし。それをメタパニかなんかでぐるぐるしつつも前に進んでもいーんじゃない?というイメージの作品。

 

作品全体から漂う不穏さ。自分はラブコメにとって最高スパイスは不穏さであると感じるから。それを作るための壊れていく登場人物の台詞や地の文で空気作りは絶妙と感じた。

 

けどこの物語は不純では無いと。スケベでグヘヘでそれが深みはまって。そして爛れていく物語として不純。好きというものの不確かさ、ぐるぐるさで不純。だとしたら作者の用意した落とし穴?狙いみたいなもんにハマってる感じがする。実際、主人公の友人が教師と交際してたり、なんかワイルドな恋愛をしている女性がいたりとかの脇のしっかりさのおかげもあってこの作品は不純なものですよ〜〜の案内板に進んでしまうというか。そうさせてる気がする。

 

けれどもこの作品を不純で終わらしたら。そこに細かい物語が砂のように。笑っちゃうくらいにサラサラと取りこぼしていく感覚を覚える。

 

て言うのも自分が感じたの不純の逆というか。誰かを一番なのか二番なのかわかんなくなってるけど好きという感情を持ってるために何かをするって、それって純真だったり純粋だったりを感じた。てかキャラをヤンデレという言葉で括っても良いくらいの自分で自分が分からなくなってくのって寧ろ純粋や純粋がハイカロリーだから、そうなってるて書き方をしてくんじゃねえのかなーと思いました。

 

不穏さは全開でも不純さはないからこのアンバランスなラブコメが面白いのかなぁと。重すぎる想いはハイカロリーな純でできてる。

 

心がイエスと言っててもあるいは訳分かんなくなっても。その好きが確からしさから離れていくアンバランスでもあっても。好きなもんは好きなんだい。

 

EVOL!!

SFライトノベル次元の越えたの面白さ

次元を越えたとは?何でしょう?次元連結システムの事なのでしょうか?天!のゼオライマー!!

 

最近、ライトノベルを面白いと思っている。当たり前なのだ。ライトノベルはエンタメを何よりも大切にしてるはずの小説媒体であり。私はエンタメであり。だから小説も好きエンタメも好きである私がライトノベルは好きに決まっている。

 

ハズだった。ハズであったのだが。もはやそれは見事に反転し、憎しみヘイト怒り。ライトノベルの事を真っ直ぐに見れず、楽しくもなんともないノイズが耳に障り、寧ろライトノベルなんてつまらない媒体でしょ。と思っていた。思っていた、いやマジで。

 

けど。ライトノベルは楽しいし面白い。それを改めて作品と自分の間に何も無く一方通行の道をコツリコツリとまた歩き出したら。ライトノベルって面白いんだなという当たり前であったものを気づいてしまった。

 

ライトノベルは面白い。

 

そう気づかせてくれたのがSFラノベのおかげだ。

 

 

 


最近ストライクフォールとヴィークルエンドを読んだ。とても。とても面白かった。ライトノベルはやはり面白かった。

 

ストライクフォールはSFロボットモノとあだち充作品のハイブリッド。スポ根SFとか熱いロボットスポーツモノなんて言葉を濁さない。いや1巻しか読んで無いんだけど。コレはGガンダムとタッチのハイブリッドだよ。絶対にそうだよ。間違ってたらゴメス。ゴメス・コンサルティング

 

ヴィークルエンドはエアギアのヤンキー文化とSFのかけ算。テスタメントシュピーゲルの何か心が欠けてる少年少女のSFと青春。Dクラッカーズみたいなジャンキー要素。全てが好きな作品の好きなところがあり。それだけじゃなく切なさとか儚さもある。何よりも熱がある。この作品はとても好きなんだ。大好きなんだ。うえお久光はずーーーーーっと紫色のクオリアの話題ばかりがTwitterでは細々と続いて行ってるけれども。だけどたまにはこの作品の事も気にかけてやりなさいなと思った?

 

どちらも次元を越えた面白さだった。次元連結システム。さあ、繋がろうぜ?そして消し去ろうぜ?

 

元々私の宇宙一好きなライトノベルテスタメントシュピーゲルである。

 

 

 

そして大大大好きなライトノベルにナイトウォッチシリーズと筺底のエルピスがある。

 

 

どれも次元を越えた面白さだった。興奮がマックスのライトノベルだった。けど自分はSFが特別好きなわけでは無く。ロボットモノつーかスパロボが好きくらいでSF小説を積みあがるくらいに読んでる程でも無く。ライトノベルでたぶん読む頻度が高いのは青春ライトノベルだ(ア・オ・ハ・ル🎶)。

 

けどなんかこうぶっちぎるくらいの興奮を覚える位にお。。。おもしろーーーーーーーい!!!!と感じるのSFラノベな気がする。上記のような作品。

 

SFラノベ。次元を越えてけ。ストライクフォールとヴィークルエンドがめちゃくちゃおもしろーーーーーーーい!!!!ルネッサンス!!!!だったので久しぶりにブログを書きたくなりました。

 

ライトノベルのお話しでした。ラブ。

 

 

 

 

さよなら保留香フィンラン子。わたしゃ転生するよ。

ポルカドットスティングレイとFINLANDSが好きだから保留香フィンラン子。という名前でかれこれ恐らく5年くらいはSNSやってきたんすけど、直近でうっ。。。となる感じがあったてことが正直あって、一旦アカウントを捨てて、新しいアカウントで作り直そうかと。うっ。。。てならない感じでやっていきたいなぁてのが正直なところで。そしたら一旦消して、どうせ始める。何度か消して、一ヶ月くらいで復活するのは今までの経験上そうしてたので。そんなら一旦消して、違う名前で始めようと思って。んで名前思いついたら一旦整理して別のアカウントで始めようかしらと。

 

てことでこのブログもこれでおしまーい。ブログ始める気が起きたら。違うのでやります。

 

つぎの名前は、何だよソレって自分で自分にツッコミ入れない偽名にしようかと。

この作品よりも面白い作品にこの先出会わないという愚かさへのアップデートを防げているのか?

様々な時代の移ろいゆく価値観、それはエンタメに通ずるものであると思う。また個人的にエンタメは過去の素晴らしい名作に影響されていって、基本面白さは自分の想いをそこに除いたら洗練されていってるはず。

 

時代のアップデートとともにエンタメもアップデートされる。そしてアップデートされる事は、まぁ一括りには出来ないけど、基本良い事である。はず。

 

そう思わないときっといけなく、そして何よりも自分がやってられない。

 

 

過去の名作に心が残されてる。自分の若い頃の衝撃が色あせないものだとしても、きっと面白いはどんどん底上げされていってるはず。

 

なのだけれどもやっぱり自分の中でのNo.1はあるはず。きっとその時、No.1とココロの底から断言できるものに出会った時、思ってるはず。

 

今後、これより面白い作品に出会えるのか?いや多分出会えないって気持ちに。

 

それはまぁ愚かなんだろうなと。そしてその愚かさは絶対に誰だって持ってるだろ。逆に自分の中のNo.1が更新され続けてるのって、楽しい事なのかもしれないけど。それって自分の中の軸が良くも悪くも生まれて無いんじゃないかしら。とも思う。

 

テスタメントシュピーゲルを読んだとき、鳥肌がたった。マジで心が震えるてこんなんなんねと思った。最高に大好きな自分の中のNo.1だった。そしてこれからもきっとこれより面白いライトノベルに出会う事は絶対に無いと確信した。

 

なんて愚かなんだろうと思うと同時に。それはマジで変わらないなとも思う。実際に出会ってない。コレがライトノベルというコンテンツの中での頂点と。自分の中のものさしが出来上がった。

 

絶対にあるとおもんだよね。コレがNo.1が変わらないなて作品。逆にそれが無いとつまらんくない?愚かで無いとつまらんくない?この愚かさは、楽しいよ。

 

みんなあるとおもうんよなぁ。

 

 

 

コレを頂点にして、ソレに続く後続の自分の好きも大好きだもんなぁ。

 

 

 


絶対にあった方が良いよ。不動のNo.1。このNo.1は絶対に何があってもアップデートしないし。してたまるかよて感じ。



 

過去好きだったモノがまだ好きであり続ける事、卒業する事。

特にオチも無いんすけど、最近2パターンあったんでメモがてら。

 

野村美月を数年ぶりに読んだ。多分4年くらい作品を刊行されなくなって。それから雪崩の如く新作ラッシュが起きて初めて手に取ったのが、ガガガの新作だった。面白かった。昔と同じ面白さはその作品にあった。けれども昔みたいに自分の心はきらめかなかった。昔みたいな面白さがあった、なのに自分の中では、面白かったけど。。。うーん位だった。変わってしまったのは自分の方であると気づいた。現実の卒業式では涙なんか流したこと無いけれども。何か悲しくなった。別に泣いてなんかいないけれども。卒業だ。そう思った。最後は笑って、さよならしよっ!!そんな感じでした。

 

 

 

 

村上春樹を読んだ。海辺のカフカを久しぶりに読んだ。去年も村上春樹の短編新作を読んだ。その時思ったのが、まだ自分は面白いと思えてると言う安堵と喜びだった。特に短編集の時には昨今のアップデートされてる社会と照らし合わせて少しうっ。。。となる場面もあるけど、率直にまだ好きであるという事に喜びを感じた。まだ好きなんだ。それが嬉しかった。やはり村上春樹は自分の中で大切な作家と確認できた。

 

 

一人称単数 (文春e-book)

一人称単数 (文春e-book)

 
海辺のカフカ(上下)合本版(新潮文庫)

海辺のカフカ(上下)合本版(新潮文庫)

 

 

答えは自分が変わってしまった、それだけの事。けどそれは悲しい事はない。卒業式と祝賀会?を繰り返して新たな自分の好きのカタチが変わっていく。変化を楽しもうという大人になる余裕も無く、かと言って生まれた雛鳥みたいに意固地に最初の頃に出会った面白いを変えないガキっぽさでも無く。単純に好きであり続けるモノと好きが変わってしまったモノを凡庸に繰り返していこうと思った。それが読み続けるってヤツなのかな?本を好きでいこう。きっと楽しいもんあるからねぇ。

 

ライトノベルが好きな自分が好きだった語り

みんなライトノベルは好きか?私はハッキリ言って、嫌いになりかけてる。最近、読もうと思ってもピタッと動かない。金縛りなのか重すぎる謎の重力的なヤツなのか。けどライトノベルの話をする。嫌いなら別に誰もそんなん見たって楽しいもんじゃない、自分も楽しいわけねえだろとは、分かってはいるつもりである。けどする。

 

本当にライトノベルが嫌いになりそうだから。このまま何もかもの目に入るライトノベルの情報が実は目に入ってなく、てか遮断されて。そして本当に永遠に読まなくなりそうだから。

 

嫌いな時にそのものに触れて幸せになる事なんて無いのは分かってる。けどこのままだとマジで読まなくなるなという感情。

 

焦りみたいなモノがある。永遠に読まなくなってしまうことに焦ってる。その理由は多分けっこう好きだったから。別にライトノベルにくぎらなくたっていい、読書が好きだったから。

 

本はたぶんいつの日かまた読み始めてくんだろうなて気持ちはあるのだけれど、それがライトノベルに絞ってみると、うぅ。。。なんか読みたくない。。。て言うより読むのが嫌。。。みたいな感情になる。謎の傍迷惑な被害者意識がぽこりと芽生える。

 

うぅ。。。気持ち悪い。何もかも。

ライトノベルに夢中だったころの記憶は確かにある。けれどもそれが他人事と言うと大袈裟すぎる。けれどもそれは何か退屈なドキュメンタリー映画を観てるような感覚だ。

 

つまりライトノベルが好きだった自分が思い出になっている。記憶という鮮明なモノがどんどん、どんどん、どどーんと遠くへと離れていきぼんやりとした思い出になっていく。あの頃は良かったなぁという感情の生っぽさが消えていく。

 

それは悲しい。というよりなんか人間やってるなー。老いてるな-。という感情。そんなん嫌じゃん。

 

 

近いうちにとりもどしてやるわ。その記憶は自分のもんだから。

だからライトノベルの話は定期的にはしてくよ。いちゃもんすまぬすまぬ。そろりそろりと。しんどーーーーーーーー。