もしソレが無くても

音楽が無くても。ゲームが無くても。漫画が無くても。ドラマが無くても。小説が無くても。友達がいなくても。親がいなくても。恋人がいなくても。映画が無くても。お笑いが無くても。ラジオが無くても。SNSが無くても。お金が無くても。車が無くても。文字が無くても。言葉が無くても。スマホが無くても。インターネットが無くても。

 

生きていく。命と世の中があれば(命と世界と書くのはハズかった)

 

つまんねえだろうな。今よりもつまんねえだろうな。人間だって誰だって駄目なのさ。駄目駄目駄目人間ていう弱者の肯定の言葉すら得られなくなってしまう。

 

泣くよ。コレが涙。

 

二つの火が合わされば炎となる。ガンバスター。スーパーイナズマキック。何よりダブルバスターコレダー。

 

こんな言葉も無くなってしまう。失いたくはない。可能な限り失いたくない。

 

人間なんて誰だって駄目な訳がない。誰だって駄目な部分があるだけ。

 

自己肯定感と自己諦観は両立できるから生きてられる。

 

まずは枕を買い替えて。可能ならマットレスを変える。ポケモンスリープで自分の駄目な生活習慣に一喜一憂、しょうもない大喜利の毎日を生きていくのなら。

 

寝ろ。より効果的に。枕を買え。脳を休めろ。

 

 

ブギーポップカムバック いつまでも待ち続ける呪いを添えて

 

 

ブギーポップを待ち続ける。と言っても4年間待ち焦がれてたというわけでもなく、思い出した頃にブギーポップいつになったら出るのさ。。。時たまブギーポップ出ないんじゃ無いよねと少しの不安もあったけど。

 

出た。出たら即読んだ。ブギーポップは好きだから。正直言うとブギーポップは好きだ、けどライトノベルを許すことはできないと勝手に、かつ鬱陶しいだろうもののけ姫仕草をしてた。お前にサンを救えるか???O.K.!オッケリング!!カムトゥギャザー!!的な。テキトーな事をべらべら言ってごめんなさい。

 

んでもって4年ぶりのブギーポップ。おんもろかったです。このブギーポップが好きなんだよな詰められてたのと。勝手に上遠野浩平が現在の現実社会の憂い、鬱憤みたいなのを感じた。そしてそれを勝手に共感した。ブギーポップ、凪、イマジネーターとシリーズお馴染みの顔触れ?の物語と学園の陰鬱な物語。好きだわぁ、このブギーポップって感じで満足しました。

 

思ったのは待つと良いことがあるです。久しぶりてことで飢えてたのかもしれないけど、近年のパニックキュートとリリィとディジー?だっけは、かなり厳しいかもしれんと言う不満の気持ちがあったけど。近年で(と言ってもリアルタイム刊行はだいぶ前なんか?)おもろかったオルタナティヴエゴと同じくらいには楽しめた。テスタメントシュピーゲル2巻の時もだいぶ待ったけど、待ったら待ったでちゃんとおもろいのはとても良かった。だからマダー?とか思うくらいなら黙って待ってた方が良いのかも?と思った。待ったらおもろかったし。

 

ブギーポップは好きです。

自分史上No.1アニメのゼーガペインが新作出る

 

 

漫画はサザンアイズライトノベルテスタメントシュピーゲル。そしてアニメはゼーガペインと。自分史上No.1はコレはもうてこでも動かない位。悪い言葉使うと凝り固まってる。トマトジュースのジュースから残った果肉の塊みたいに。そんなガチッとしたものがある。

 

そんなゼーガペインがアニメから15年くらい?劇場版からでも7年ぶりくらいに新作アニメをやる。

 

嬉しいの前に来た正直な感想は、マジで?という驚きと呆然とした感情。

 

ゼーガペイン自体は多分メジャーには完璧になれなかった。けれど喧しいコアなファンが確かにいる。位の作品。

 

ストーリーも当時は衝撃を受けたんだが、当時からいた喧しいタイプのオタクがSFのベタをやってるだけと言ってるのを耳にした。後、上遠野浩平のナイトウォッチを後に読むんだけど似てるなぁと。

 

2年前位にゼーガペインを見直した。もちろん二回目だからってのもあるけど、SFのベタってのがなんとなくは分かるくらいはなんとなくSFを読んだり観たりするようになってわかるっちゃわかるなとなった。そんな事よりも二回目はめちゃくちゃ伏線の入れ方が丁寧だなと関心した。明らかな伏線が後のストーリーのカタルシスを生む気持ち良さってこーゆーんだなと思った。そして放送当時みた切なさが溢れる夏の物語の良さをまた感じた。

 

ゼーガペインはやっぱり好きだ。

 

ガンダムでもギアスでもエヴァでもグレンラガンでもない。

 

マジンガーでもゲッターでもイデオンでもデモンベインでもトップをねらえ!でもない。

 

自分が一番好きなアニメはロボットアニメの括りなんていらない。全てのアニメの中で一番好きな作品は。

 

ゼーガペインなんだと。

 

だから新作アニメをやるという8月の終わりのニュースがとても嬉しいです。嬉しいって気持ちが脳内に届けてくれてありがとう。

 

気になるのは伊東岳彦が参加するか否か?ってとこ。伊東岳彦は偉大なクリエイターの一人です。伊東岳彦が好きです。ゼーガペインが好きです。

 

自分の一番好きなアニメを誰かにみてほしい。それをおもろいと思ってくれたらきっと嬉しいな。

 

だから書きました。

とりあえずミステリとSFと陰謀論あたり好きならニルヴァーナイニシアチブやれよ

 

 

話したい事は沢山あるけど。もういいやって気持ちもあるので傑作だからやれとだけ。コレと十三機兵防衛圏はやれ。マジでやれ。

 

このゲームがバズるタイプのブームが起きないのが寂しい。大きな渦を作れる作品だと思う。

 

よろしくね-。

自分のSNSへのスタンス

とりあえずXになってみて、どう変わっていくのか見届けて、ヤバそうだったら滅びようと思います。

スレッズ、ミスキーとか移住先はあるみたいですけど。とりあえず本気で寂しいと感じるまでやろうとは思いません。

Twitterと共に滅びるのはTwitterが好きだからじゃなく。もう終わりだろ、終わっちまえよが予想通り現実になり始めてしまった。ここで今んとこ終着点で。この保留香フィンラン子というポルカドットスティングレイとFinlandsが好きだからこの名前にしたのですが、読書メーター、フィルマークス、そしてこのブログでのみその名前になる。滅びた後、移住先は別名義でいきます。

 

これで終わりでもいいだろ。

何を言ってもネタバレになるは、その言葉の時点でネタバレが始まる

今話題になってる作品の盛り上がりを水をさしたくないし。尚かつその言葉自体はおすすめする人の熱がある。わたしゃアチい人間や物語だ。けど、熱いはサブいやしゃらくさいと紙一重

 

なのでもう10年近く前の作品のネタバレを一つ。もう言ってもいいのかな?とあるライトノベル作品。みんな何を言ってもネタバレになる!!こんなすごい!!!と一部界隈で盛り上がってた。あぁ。。。○○(キャラ名)。。。○○が。。。こんな事に。。。駄目だ。。。こんなん何を言ってもネタバレになってしまうよ。。。言いたいのに言えない。。。

 

みたいな?

 

何を言ってもネタバレになる。その言葉自体からネタバレは始まってる。革新はつかない情報を小出しにする。人間って、そんな察しの悪い生きもんじゃないて。。。正解とまではいかないけど、ニアミスくらいできるて。けどニアミス如きで、こんな感じの事を予想してたって、あっしてすごくない??もそれはそれでしゃらくさい。

 

なので。熱の方向に舵を向ける。ソレの方が案外楽しいよん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死ぬんだろ!!!!!!!!○○○!!!!!!!!!!!!そんなん死ぬしか無いじゃん!!!!!!!!!!!!○○○!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

買いま〜〜〜〜す。

 

 

 

石川博品と比嘉智康。10年間好きだった二人のくっきりしすぎた個人的な明暗

石川博品比嘉智康。二人の共通点はゼロ年代にデビューしたライトノベル作家。けっこう数年に一度ぽつぽつと新作を刊行続ける。デビューから今に至るまで根強いファンがいる。

 

コレくらいなもん気がします。あと個人的な話なんですけど、私が10年間くらい好きなライトノベル作家であること。このあくまで個人的な事が自分にとっては大切なものである。それこそ心の宝石箱だい!!と10年以上前の彦摩呂が言いそうで言わなそうな。そんな、好きなライトノベル作家である。

 

まぁそんなスローペースで刊行してる両作者がこの2カ月で新作を出した。

 

 

 

私はライトノベルが好きだった。過去形なので今はあまり好きでもないし。読んでもないです。

しかしやはり10年間好きな作家。それこそ個人的には数少ない作家買いするレベルに好きな作家。がこんな同じタイミングに出すもんだから。かなり遠のいてたライトノベルというものを久しぶりに読んでみた。

 

んであくまで個人的にと言う枕をつけた上で尚、この好きだった二人の作者の新作がくっきりと。マジでハッキリと明暗が別れたものだから。まぁHAPPYな気持ちとUNHAPPYな気持ちが、それこそブラックコーヒーとミルクがかき混ぜずにぐるぐると回転してるみたいになってたのでブログに記録を残しておこうかなと思い、今書いております。

 

まず石川博品の冬にそむくなんすけど。自分はおもろいと思いました。コロナをかなりダイレクトにモチーフ?設定?にしてる作品でした。そのちょっとストレートなボール投げすぎじゃないというコロナ禍で感じてた諦観の物語と冬というこれまたしんどい、特に雪のあまり降らない地域の人達は一種のイベント感あるけれど、それが続く終わらないとなお、しんどいもの。そんな安っぽい言葉だけどハッキリとした絶望。それでも何かをしたいという希望を持つモノが若者だよね。世界がおかしくなるなら自分もおかしくなってしまうわってなってるのに前を歩く主人公の物語は好きでした。やはり雰囲気作りある文章を書くのが上手いよね、石川博品と好感が持てました。

 

石川博品は、最近は時代性と合わせるのも上手いし。なにより氏の筆力が色々違う面白さ、違う魅力ある物語毎によって雰囲気作るのがべらぼうに上手いなと過去作を思い出して、加えて今作を読んで思いました。

 

 

なんつーか変わらず信頼感ある筆致に新しい別の物語を読ませてくれる。そんな石川博品の魅力が今回も楽しませてくれました。10年間好きで良かった。


んで次は比嘉智康

正直、途中まで読んでる昨日まではかなり悲しかったし辛かった。読み終わった今は、まぁ。。。良いところあるっちゃあるけど。なんつーかしょんぼりさせてくれて。もう続きは読まなくてもいーかなと思える内容だった。

 

読んでて強く思ったのはキメラじゃんて気持ちだった。過去作の色々な同作者の作品の面白いところをつぎはぎしたキメラじゃんと。そう思ってしまった。そこに変わらない事の喜びを自分は感じずに、むしろ悲しみを感じてしまった。

 

 

 

今作はそもそもどうやらたまらんのリベンジらしいのだが。それは良いとして何というか過去作を感じさせるエッセンスが所々に感じた。キミは一人じゃないじゃんや角川文庫の一般文芸の死とか別れのせつなさ。やけに肩パンをするキュートなヒロインはKAFKA使いを思い出した。何というか比嘉智康の過去作のせつなさとか青春を継ぎ接ぎにして出てきたのが今作。そんな感じがしてしまい、そこに辛さを覚える。

と言うのも比嘉智康はそれだけじゃない作者だと思ってたから。けど、いつからはソレが一番の強みだと思って固執してるんじゃないか?と言う妄想を感じさせられた。あくまで妄想です。

 

氏は10年前だったらストーカーやサイコパスなら比嘉智康みたいなことをちらほら言われてるのを目にしてきたし。けどそのときもストーカーキャラが連続したりとか。何か強みを推す人なのかな?上手く言葉にはできないけど。今作を読んで、自分の好きな比嘉智康であったのかもしれないけれど。今の自分は読みたくないなという。すげえわがままな気持ちになりました。

 

それは作者の強みである軽やかな小気味よい会話劇と地の文でも思った。そこが好きだった。一つ前の作品の角川文庫では一般文芸からの刊行だからなのかそこが抑え気味だったが、今回の新作ではそこが序盤ノリノリだった。最初は楽しかったし嬉しかった。けど中盤に差し掛かると、それがどんどんしんどいと感じた。それはかなり自分側の問題な気もする。だから逆にもうこの作者はいいかな?とも思った。

 

後、ぶっちゃけネタバレをみてしまった後に読んだので、実際自分はそこまでマイナスな感情を持たなかったが。ラストの展開は読者を振るい落としてる展開と言われても仕方ないと思う。何がバランスだ?手軽な肯定の言葉を使いやがって。そのバランスてどんなバランスだ?分かったつもりで使うな。ふざけるな。

 

少なくとも10年は好きだったので感謝はありつつも。自分はこの作者の作品はもう卒業しても良いかなと思った。今までありがとうございました。混じりっけのない感謝です。

 

石川博品比嘉智康。もしかして並べて感想を書くのはいけない。あるいは書く意味が分からないのかもしれない。けど自分の中では両者とも10年好きな作者であり、その新作がパッキリと明暗が別れたので自分のログとして書かせてもらいます。

 

ライトノベルのお話でした。失礼します。