エモいとかブンガクとかセイシュンとかライトノベルに求めてるヤツを当然野村美月を読んでる

老人が自分のセイシュン時代の名作を若者に当然読んどけていうのはまぁ良くないことというよりダサい事だと扱われる。当然、それは激のダサダサだからだ。しかしそれと逆の若者が過去の歴史や流れ、語り継がれる名作を読まない事には救いがある。過去をリスペクトをせずに今ある与えられた作品が勿論自分の中の名作だと盲目に思う。ソレを咎められないのは簡単な理由で老害共がだらだら喋ってる過去の名作が老害のキッズ時代に読んでるものだからだ。キッズアゲイン。キッズ・リターン。簡単過ぎる仕組み。人は理性の生き物である。だからこそ自分をわきまえる。そして仮に老害の自分のカテゴリーに若い人間が興味を示すと慈愛、あるいはおせっかいなのかもしれないが優しさで包み込むのが正しい理性、正しい行い、正しい人間なのかもしれない。

 

しかし今日は獣になりたいと思う。理由は単純でアルコール度数の高いレモンサワーを飲んでいる事と少しストレスが溜まってるからだ。

 

コレは自分が好きではないとある作品が好きな人が褒めで使うのをみるのが、エモいとかブンガクとかセイシュンとか寧ろ一般文芸、ライト文芸に行くべきとか言われてるんだけど。正直、なんじゃそりゃそりゃと出川のてっちゃんみたいなリアクションをしたいからだ。あんな加齢臭が強いものを私は認めない。そしてその加齢臭を感じ取れる自分がほんのり、いやかなり悲しい。

 

野村美月を読め!!!!!!!!

 

当然読んでからいってるんだよな!!!!!

 

読んでねえなら読め!!!!!!どうせ初手は“文学少女”とかて言われるだろうけど無視しろ。

 

読むならヒカルシリーズだ!!!!!この言葉は無視するな!!!!!!解散!!!!!!!!!!!?!!??????