自分が最後に読むライトノベルがミスマルカ興国物語であったら憂いは無い

自分の好きな事に対して、ネガティヴな感情を持つ事を。そうでなくてもそれを発信する事を良くないと思う人とは、少し相容れないとまで断絶してなくても。しっくりこないものがあった。

 

けど今はそれはそれでその通りかもねと思える。好きなもんの事だからそりゃ明るい楽しい話で溢れる方が楽しいもんねと。全部ではなくても少なくともそーゆー人に対して肯定できるものがある。

 

ただ自分はそれじゃないのだけれども。

 

私はそこそこライトノベルが好きでした。そんでもってあまり好きでなくなった。けど好きなところもあったから。ライトノベルの自分の好きでないところに目がいき、管を巻く事があった。

 

好きでない気持ちが増える事より好きという気持ちがすり減り、自分が好きであった感覚が朧気で曖昧なものになってしまい。嫌いという感覚も綺麗さっぱりに近い、ほぼ無くなってしまった。

 

好きの反対は無関心。嫌いではなく無関心。そんな言葉がある。自分の大好きな漫画でも用いられていた。そんな言葉を否定したかった過去がある。

 

けど今その言葉が分かっているというかそれになっている。ライトノベルに対してポジティブもネガティブも感じられない感覚。

 

好きであるという気持ちがどこかにあったから、その事を否定や嫌いになれる糧になってたのかも。それもびっくりするくらいの年貢の取り立てで。摩耗して日々擦り減って。好きという気持ちが薄れるとともに洒落臭いとかいけすかないとかそんな嫌いな気持ちも薄れていった。

 

ライトノベルを読むのを引退するとか言うやつがいたらマジで何言ってんのと鼻で笑ってしまうのだけれど。それが自分自身であったとしたら。なんかこのまま楽しかったも嫌だったもあった。たかが趣味の範囲だけれど。それでもかなり好きだったものにスンとフェードアウトしてく感じが。少し寂しさみたいなものを感じる。

 

と言うところに自分の大好きだった作品であるミスマルカ興国物語の最終章を書くよって言ってる作者のブログを読む。その時心の中で少し思った。ミスマルカが自分の読む最後のライトノベルであればいーなーと。

と言うのも好きだったライトノベルは過去を紐解けば数あれど。このミスマルカが無ければ、ライトノベルっておもろ〜とかすんご〜とか。そんな感情は芽生えなかった。もしかしたら言葉を間違ってるかも?という自覚だけはあるのだけれど、このミスマルカ、林トモアキ作品がライトノベルライトノベルとしての魅力や楽しさを。ライトノベルらしい面白さ。ライトノベルじゃないと成立しない面白さを感じた作品、作者であり。ライトノベルらしさのライトノベルの面白さはきっと自分のなかではミスマルカがそう思える作品であり。ライトノベルが好きだった自分にとって大切な作品である。心の宝石箱ってやんす。

 

そんなミスマルカだから。最終章書くよーっての見た時、終わるなら。自分とライトノベルを終わらせるならミスマルカが良いなーと思ってしまった。だから出してくれミスマルカ三部を。そして最後は笑顔でさよならしたい。

 

まぁ上でも書いたけど、ライトノベルを読むのをわざわざ引退とかとても痛いので。しれっと読んでる事のがありえるから。二枚舌でごわす。

 

以上、あまりにストレスが溜まりすぎると文章を書きたくなる自分の習性から久しぶりにブログを更新しました。助けてくれ。

 

ライトノベルのお話でした。