何もかもくだらないから脱出した先は平凡な夕暮れ

私はインフルエンサーという類いの人間が心底嫌いで。理由を探せば結構あって。その嫌いは昔からあったけど、それが案外自分の近いところにそびえ立ってから益々嫌いになった。

 

そしてそこそこ良い年してて最近気づいたのだけど他人が嫌いと言うよりは苦手だと言う事。コレは結構深く悩んだ。中学生や高校生ではあるまいに。社会に出て人は一人では生きてけないと流石に分かりきってる事実をしっかり嚥下してるのに。寧ろリアルな中学生や高校生の頃はそう言った事を言う人間を痛い人間と思い、蔑みまでしていた。けど年をとって現実でもネットでも他人とコミュニケーションをしていて。コレはかなり人付き合いが苦手だなと。当然、一人では生きてけないし生きていこうとも思わないし。誰かと話す事寄り添う事笑う事、一人じゃない楽しみを知ってるからこそ。その気づきに今更気づいて。深く悩んだ。

 

コレについては他人にも相談した。いい年になって。当然、昔自分が誰かにしていたような痛いヤツとか中には爆笑された。そりゃそうだと自分の中には納得してた。けどマジでこの嫌いという気持ちが嘘偽り無いからもうしゃあないわ。しゃあないけど生きるしか無いじゃんという気持ちである。

 

ちなみに本当に仲の良い古い友人数名にはお前は昔から冷たい他人に興味無いヤツと言われた。流石友人だ。自分の事を自分より分かってた。

話はインフルエンサーに戻るんだけど。このインフルエンサーという類いが昔から嫌いである事と人付き合いが苦手だという気持ちがミックスされて。人に影響を与える事自体が本当にくだらないと変な拗らせ方をした。自分に影響力なんてあるなんて当たり前だけど思ってない。けどブログで1日数十人数百人は見られるブログであって。別にきっと好きな作品のワードで検索してたまたま見に来ただけの人だろうけど。誰かが1日見たという数字が残る。その数字にくだらなさを本当に感じてマジで馬鹿らしいと思ってブログとTwitterアカウントを消した。コレは繰り返すけど自分に影響力をあるなんて勘違いをしてるわけではないか。

 

ただその少ないながらも流れる数字にくだらなさを感じただけ。インフルエンサーが数字を増やそうとしてるのに自分が繋がってる感覚があって馬鹿らしいと思って。

 

実際、かなり酷くて痛い拗らせ方をしてTwitterやブログを消した一ヶ月間はかなり心が健康だった。一ヶ月で戻ってるじゃんというセルフツッコミは。何もかもTwitterアカウントと連携させてたら消すとマジでめんどいという事に消してから気づきすぐに蘇らせた。そして好きな事を書いてきたいなとブログもまた作り直した。数字がリセットされた状態で。

 

好きな事を好きなように書いてくためにやってたブログでソレは消すまでその気持ちでやってきた事は変わらないけど。一瞬のくだらないやで消してしまえるほどには愛は無い。

 

それくらいどうでもいい気持ちで。いつもと変わらない平凡な夕暮れみたいな気持ちでブログはやっていきたい。本当にやる気ある時しか更新しない。それは昔と変わらないけれども。

 

インフルエンサーの嫌いなところの一つとして詳しくは言わないけど打算を感じてしまうところ。その打算が本当に嫌いだから。

 

だから自分は自分の部屋みたいなこのブログでとりとめもない平凡さで好きな事をだらだら書いていきたいな。

 

書きたいから書いた。暇だから。

 

最後に私はインフルエンサーによって自分が好きだったものが嫌いになった。ソレはかなり馬鹿らしい事だと思う。他人に自分の好きでも嫌いでも左右されるな。